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新しい生活

以前から映像は好きで、自分の作った音楽に合わせて制作したりだとかはしていたけれども、1月に観た磯部真也の作品がとにかく素晴らしくて圧倒された。こういうことがしたいのかもって。それと同時に、いまの自分が立っている場所から離れていく作業を本心から取り組まないと駄目だと強く感じて、淡いものが明確になっていった。 とにかく自分を否定しないと。肥大化した自意識、驕り、怠慢にまみれたこの性根を潰さないと。何者でもないことを思い出さないと。一から始めないと。何かをするには年齢を重ねすぎたと言い訳に終始していた。でも、清野賀子は33歳から写真を撮るようになったらしい。そうなんだ、始めるのに遅いってことはないのか。もっと早くに知りたかったな。 2020年から始まった私小説に区切りをして、付随した人間関係とそこにある記憶や感情を大切にしながら、優しく海に還すような手つきで、漂いながら遠くに小さくなる姿を見届ける。むかし観た「アタラント号」みたいに爽やかな終わり方がいい。でも、そう出来なかったのは自分の力量や終わっている人間性のせいだ。 いつの間にか中盤にもなっていた2020年代という時間は、摂食することぐらいしか恐らく出来ないだろうと思う。自分は映像のことを何も知らないし、目も良くない。 だから、たくさんのことを学んでいく。たくさんの言葉を読んで、たくさんの言葉を書く。たくさんの色を見て、匂いを嗅いで、時には怪我をしたっていい。その血が乾くころには味のある傷にもなるはずでしょう。 痛々しさも弁えながら、私が私を映像作家と自認できたとき、そこに自意識でなく、普遍的な、他人との無線な、視線を合わせない、私にとっての理想でもある類の共感が生まれることを夢見ている。何年先の未来の話だろう?気が遠くなるけれど、10年前に誰も居ない街で一人始めた音楽が導いてくれたこれまでの経験は、主題が替わったとしても、お守りのようにぼうっと宿っていて、根拠のない自信を抱くには充分だ。大丈夫。きっとなんとかなるさ。 新しい生活。不安も、期待も。 春らしい変化を迎えて、 ゆっくりと生を重ねていこうと思う。